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東京地方裁判所 平成9年(ワ)1323号 判決 1998年7月17日

甲事件原告 A

甲事件原告 B

甲事件原告 C

右三名訴訟代理人弁護士 長谷川健

右同 藤勝辰博

甲事件原告 D

右訴訟代理人弁護士 井出雄介

甲事件被告兼乙事件原告 株式会社第一勧業銀行

右代表者代表取締役 E

右訴訟代理人弁護士 野村昌彦

甲事件被告補助参加人兼乙事件被告 F

乙事件被告 G

乙事件被告 H

乙事件被告 I

主文

一  甲事件原告らの甲事件被告に対する請求をいずれも棄却する。

二  乙事件原告の乙事件被告らに対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、甲事件について生じた部分は甲事件原告らが負担し、乙事件について生じた部分は乙事件原告が負担する。

事実及び理由

第一請求

一  甲事件

甲事件被告兼乙事件原告株式会社第一勧業銀行(以下「被告銀行」という。)は、甲事件原告A(以下「原告A」という。)に対し、六一六万四八七八円を、甲事件原告B(以下「原告B」という。)、同C(以下「原告C」という。)及び同D(以下「原告D」という。)に対し、各二〇五万四九五九円及びこれに対する平成六年九月一日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

二  乙事件

1  甲事件被告補助参加人兼乙事件被告F(以下「乙事件被告F」という。)、乙事件被告G(以下「乙事件被告G」という。)及び同H(以下「乙事件被告H」といい、右乙事件被告ら三名を「乙事件被告Fら」という。)は、被告銀行に対し、各四一〇万九九一九円及びこれに対する平成四年一一月二八日から完済まで各年六分の割合による金員を支払え。

2  乙事件被告I(以下「乙事件被告I」という。)は、被告銀行に対し、一二三二万九七五七円及びこれに対する平成四年一一月二八日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  前提となる事実(以下、証拠の明示のない事実は争いのない事実である。)

1  亡J(以下「J」という。)は、昭和五八年三月一七日付で、預金を含む一定の財産を長女の亡K(以下「K」という。)一人に相続させること、乙事件被告Iを遺言執行者に指定すること等を内容とする自筆証書遺言(以下「第一遺言」という。)を作成した。

2  Kは、昭和六三年三月二〇日に死亡した。

3  Jは、平成四年八月一〇日付で、預金を含む一定の財産の全てをKの子である乙事件被告Fら三名に代襲相続させること、Jの長男であるL(以下「L」という。)に対する遺産相続は一切認めないこと、乙事件被告Iを遺言執行者に指定すること等を内容とする遺言状(以下「第二遺言」という。)を作成した。

第二遺言は、Jの自筆により作成され、日付の記載や署名もあるが、作成当初から、印影が認識できないものであった。(印影は、別訴東京地方裁判所平成五年(ワ)第七八〇八号、同年(ワ)第一三三八〇号事件の裁判時にも、認識されていない。)

4  Jは、第二遺言を作成した後、平成四年八月九日ころ死亡した。

Jの右死亡時点の法定相続人は、Kの代襲相続人である乙事件被告FらとLであった。

5  Jは、死亡時、被告銀行駒込支店に、別紙預金目録<省略>のとおり定期預金及び普通預金を有していたが、平成四年一一月二七日時点における預金の合計額は二四六五万九五一五円であった。

6  乙事件被告Iは、第一遺言より後に作成された第二遺言に印影が存在しなかったので、第一遺言が遺言書の効力を有すると判断し、平成四年一一月二七日、第一遺言の遺言執行者として、被告銀行に対し、右預金全額の返還を請求し、同月二七日にその返還を受けた。

そして、乙事件被告Iは、これを乙事件被告Fらに、八二一万九八三八円ずつ交付した。

7  被告銀行の従業員で右預金払戻業務を担当したMは、右預金返還の際に、乙事件被告Iに対し、第一遺言の検認証明書、乙事件被告Iの署名、押印のある払戻受領書(「証」、乙一)、乙事件被告Iの印鑑証明書を提出させたが、Kの戸籍謄本の提出をさせずに、預金を返還した(乙一ないし三、Mの証言)。

8  Lは、平成五年八月一九日に死亡した。

右時点のLの相続人は、Lの妻の原告A、子の原告B、原告C及び原告Dであり、各々が法定相続分に従って、Lの遺産を相続した。

二  本裁判の経過

1  甲事件

原告らは、第一遺言はKの死亡により無効になったとして、被告銀行に対し、Jの遺産に対する法定相続分の割合にしたがって、預金の返還を求めた。

これに対し、被告銀行は、第一遺言は有効であり、また、仮に無効であるとしても、乙事件被告Iに対する預金返還は、債権の準占有者に対する弁済にあたると主張して争っている。

なお、本裁判の経過中、第二遺言に、うす茶色のJの印章の陰影があぶり出しのように浮き出てきた(丙三)ことから、乙事件被告Fは、右印影はJが押印した印影であり、したがって、被告の預金返還は、遺言の効力を有する第二遺言の内容に合致する有効な弁済であると主張した。

2  乙事件

被告銀行は、甲事件で敗訴したときの請求として、乙事件被告Fらに対し、同人らが法定相続分よりも超過して交付を受けた預金につき、不当利得返還請求を求めた。また、乙事件被告Iに対しては、預金返還の際に約した合意(被告に損害が生じた場合には、乙事件被告Iが責任を負担する旨の合意)に基づき、また、過失による不法行為に基き、損害賠償の請求を求めた。

三  争点

1  印影はJの押印によるものか否か(第二遺言の効力)

(一) 乙事件被告Fの主張

平成九年の夏ころ、Jの印章の印影が浮き出ているのを発見した。これは、Jが、第二遺言の作成時に、朱肉ではなく、酸等を用いて押印するなどしたため、経年により、自然に顕出したものである。よって、第二遺言は、第一遺言を撤回する有効な自筆証書遺言である。

(二) 原告らの主張

第二遺言の印影は、争いのない事実等3記載の裁判後に、何者かが偽造したものである。第二遺言は、押印を欠くため、遺言の効力を有しない。

2  特定財産を相続すると指定された特定相続人が先に死亡した場合の遺言の効力(第一遺言の効力)

(一) 原告らの主張

第一遺言は、Kが、Jより先に死亡したため、効力を生じない。

(二) 被告銀行の主張

第一遺言は、遺産分割の方法を指定する相続の遺言であるから、遺贈の遺言に関する民法第九九四条第一項の適用はない。そして、相続においては、代襲相続の規定が存在し、これは遺言による相続の場合にも適用があるから、第一遺言は、Kがこれにより相続するはずであった特定財産を乙事件被告Fらに代襲相続させる遺言として有効である。

また、遺言書の解釈にあたっては、遺言書そのものの外に遺言意思を表す外部的資料を活用すべきであるが、本件においては、第二遺言がその外部的資料となる。第二遺言を資料に、第一遺言を解釈すると、第一遺言の作成時においても、Jは、Kが先に死亡したときには乙事件被告Fらに特定財産を代襲相続させる意思を有していたものと解釈できる。よって、第一遺言は、かかる意味において、有効な遺言である。

3  被告銀行が乙事件被告Iを有効な遺言執行者であると信じたことについての過失の有無(債権の準占有者に対する弁済にあたるか)

(一) 被告銀行の主張

特定相続人が先に死亡した場合の遺言の効力については、民法に規定がなく、判例も存在しないのであるから、高度な法律的判断を要するものである。したがって、特定相続人へ特定財産を相続する旨の遺言があり、これによって遺言執行者に指定された者から、預金返還の請求をされた場合に、銀行が、特定相続人が遺言者より先に死亡していれば、遺言が無効となり、これによって遺言執行者の指定が無効となり得ることまで配慮して、特定相続人の戸籍謄本を提出させる義務を負わないのである。

まして、本件の場合は、法律の専門家である弁護士が遺言執行者の地位にあることを強く主張して、Kが死亡した事実も告げずに、更には、Kの死亡によって遺言執行者の地位に影響があるとの説明が全くなかったのであるから、なおさらであり、被告に過失はない。

(二) 原告らの主張

預金の相続に関する銀行実務においては、相続人の戸籍謄本の提出を求め、相続人の存在確認を行うのが通常である。被告が、右のような相続人の存在確認をすれば、Kが既に死亡しており、第一遺言が無効であることを知ることができた。被告が、これを怠り、乙事件被告Iに預金を返還したことには、過失が認められる。

4  乙事件被告Fらの不当利得、乙事件被告Iの不法行為等の成否

第三争点に対する判断

一  争点1について

1(一)  丙一(第二遺言)によると、第二遺言は、Jが、Lに対し怒り、怨念の情を有し、同人を自己の相続人から排除することを希望するとともに、第一遺言に代わるものとして、Kの代襲相続人の乙事件被告Fらを特定相続人として指定した遺言であることが認められる。このようにJにとって極めて重要な内容を記載した遺言について、存命中は税理士で、また、自ら第一遺言を作成した経験を有し、公的文書あるいは自筆証書遺言における押印の重要性を充分認識していたと認められるJが、押印に何らかの細工を施して、当初は印影が認識できず、経年によってこれが認識可能となる押印をするとは考えがたいところである。

(二)  乙事件被告Fは、本人尋問において、Jが、生前、葉書にあぶり出しの細工をするなどしたことがあるので、本件でも第二遺言に酸性の薬品等を用いた可能性がある旨と供述するが、同人の供述によっても、Jが、第二遺言の作成途中あるいは直後に死亡した場所と認められる寝室や右寝室に開いて置いてあった可能性のあるスーツケースの中に、酸性の薬品類などが存在したことを認めることができず、また、第二遺言に現れた印影らしきものが、いかなる物質により作成されたものかについては、これを認定する証拠もない。

2  以上の事実を考慮すると、第二遺言の印影は、Jの押印による印影であると認めることはできず、遺言の要式性からすると、第二遺言を無効と判断するほかない。

二  争点2について

1  第一遺言は、Kに特定の遺産を相続させるというものであり、第一遺言の記載から、これを遺贈と解すべき特段の事情は認められないから、第一遺言は遺産分割の方法を指定した相続の遺言であると認められる。

2  ところで、特定相続人が被相続人より先に死亡した場合の相続の遺言の効力については、遺言書中に、右特定相続人が先に死亡した場合には、その代襲相続人に当該特定財産を代襲相続させる旨の記載があれば格別、そうでない限りは、右特定相続人が被相続人を相続することがあり得なくなった以上、当然、効力を生じなくなったものというべきである。

なぜなら、被相続人は、一般に、被相続人と特定相続人の関係、特定相続人の財産状況、被相続人と他の相続人との関係など個別具体的な事情に照らして、特定相続人に特定財産を相続させる旨の遺言をするのであって、代襲相続人と被相続人の関係等を考慮して、遺言をするものではない。そうすると、特定相続人が先に死亡した場合には、当然に遺言を失効させることが、被相続人の遺言意思に合致するからである。

したがって、本件において、第一遺言は、当然に失効したと認められる。

3  この点、被告銀行は、第二遺言の記載から、第一遺言の作成時においても、乙事件被告Fらに、代襲相続させる意思を有していたことが認められると主張する。しかし、第一遺言には、Kの家族関係に関する記載やそれに配慮を示したような記載は全くなく、しかも、第二遺言は、第一遺言よりも五年後の作成日をもって作成されたもので、第一遺言の作成時点のJの遺志を表すものとはいえないのであるから、原告の主張を認めることはできない。

三  争点3について

1  被告銀行が乙事件被告Iが有効な遺言執行者であると信じたことについて、過失はないものと認める。その理由は、以下のとおりである。

(一) 被告銀行は、乙事件被告Iが有効な遺言執行者であることを確認するために、乙事件被告Iに、第一遺言の原本及びその検認証明書の原本、乙事件被告Iの印鑑証明書を提出させ、これによって、Jの死亡の事実、預金に関する遺言の存在、右遺言により乙事件被告Iが遺言執行者に指定されていること、預金請求者が乙事件被告I本人であることについて、確認をしていること(争いがない。)。

(二) 被告銀行が、後日の紛争を回避するために、相続人の押印と印鑑証明書を提出するよう要求したのに対し、弁護士である乙事件被告Iが、「遺言執行者の自分が、全相続財産について管理権を有し、相続人はこれを処分することはできないのだから、そのような書類は不要である」と述べ、また、乙事件被告Iは、被告銀行の要求に応じて、遺言執行者として預金返還を受けたことを証する払戻受領書を提出したことから、被告銀行が、乙事件被告Iは自己を有効な遺言執行者であるとの確信を有しているとの認識を抱いていたこと(Mの証言)。

(三) 第一遺言のような遺言がなされ、遺言者の死亡以前に相続人として指定された者が死亡していた場合の有効性については、法律上の規定がなく、この点の解釈も分かれていて定説のない状況であったのであるから、銀行側にこの点の法律上の解釈のリスクを負担させるのは適当ではなく、弁護士たる遺言執行者の説明を受け、銀行として果たすべき相当の注意を払い、必要書類を整えて預金払い戻しに応じている以上、こうした取り扱いは保護されるべきこと。

2  なお、原告らが主張するとおり、Kの死亡は、Kの戸籍(除籍)謄本によって容易に知り得た事実である。しかしながら、仮にその事実を知っていたとしても右のとおりこの場合の遺言の有効性の解釈が分かれていたのであるから、単にKの戸籍謄本を提出させなかったことをもって、被告銀行に過失があるとは判断できない。

よって、被告の預金返還は、債権の準占有者に対する弁済と認められる。

第四結論

以上のとおり、第一遺言及び第二遺言とも遺言の効力を有しないので、原告らは、被告銀行に対し、Jの遺産に対する法定相続分にしたがった額の預金返還請求権を有していたが、被告銀行の乙事件被告Iに対する預金全額の返還によって、右請求権は消滅し、被告銀行は、原告らに対する預金返還義務を免れたものである。

よって、原告らの被告銀行に対する請求及び被告銀行の乙事件被告らに対する請求は、いずれも理由がないから棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判官 鬼澤友直)

<以下省略>

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